昨今のクラシック・ポルシェ市場は空冷911を中心に人気が高まっているが、真のエンスージアストたちの間で今、静かな熱視線を集めているモデルがあるのをご存知だろうか。
それが、1976年にポルシェの新たなエントリーモデルとして誕生したポルシェ924である。
長らく「ポルシェらしくない」という偏見に晒され、正当な評価を受けてこなかったこのクルマだが、その中身はポルシェが持てる技術を注ぎ込んだ革新的なエンジニアリングの塊であった。
FRの概念を昇華させたトランスアクスルレイアウトによる完璧な重量配分は、今日の目で見ても色褪せないピュアなドライビング・プレジャーを提供してくれることだろう。
本記事では、フォルクスワーゲンとの共同開発という特異な生い立ちから、ポルシェを倒産の危機から救った大ヒットの歴史的背景、そして928や944へと連なる「FRポルシェの系譜」まで、ポルシェ924の魅力に迫ってみたい。
ポルシェ924とはどの様なクルマか?

◆ポルシェ924の諸元
| エンジン | 水冷直列4気筒SOHC |
|---|---|
| 馬力/トルク | 125PS/165N・m |
| 駆動方式 | FR |
| ボディサイズ | 4213×1685×1270mm |
| 重量 | 1080kg |
ポルシェの歴史を紐解くとき、常にスポットライトを浴びるのは「911」である。
しかし、1970年代後半から80年代にかけてのポルシェを語る上で、決して忘れてはならない隠れた立役者が存在する。
それが「ポルシェ924」である。
伝統的なリアエンジン・空冷フラットシックス至上主義のファンからは、長らく異端児として扱われてきたこのモデルだが、その真の姿は、ポルシェの経営的危機を救い、新たなエンジニアリングの地平を切り拓いた野心作であった。
誕生の背景:フォルクスワーゲンとの共同プロジェクト「EA 425」

ポルシェ924の出自は、スポーツカーとしては非常に数奇な運命を辿っている。
1972年、フォルクスワーゲンはスポーツクーペの開発をポルシェに委託した。
VWにとっては自社のフラッグシップスポーツクーペとして、ポルシェにとっては914に代わる新たなエントリーモデルとなるはずの【プロジェクトEA 425】である。
ポルシェのエンジニアたちは、水冷直列4気筒エンジンをフロントに置き、トランスミッションをリアに配置する革新的なトランスアクスルレイアウトを提案し、開発は量産化の目前まで迫っていた。
しかし1975年、オイルショックによる経済不安などを理由に、VWはこのプロジェクトを突如キャンセルしてしまう。
宙に浮いてしまったEA 425だが、ポルシェはこの優れたシャシーのポテンシャルを見抜き、自らの手で完成させるべくVWから開発の権利を買い取った。
こうして1976年初頭、ポルシェの新たなスポーツカー「924」として世に送り出されることになったのである。
ポルシェを財政難から救った大ヒット・エントリーモデル
急遽ポルシェのエンブレムを掲げることになった924だが、コストを抑えるために生産はアウディのネッカーズルム工場で行われ、VWやアウディのパーツが巧みに流用された。
その生い立ちゆえに、純血主義のポルシェファンからは「アウディのバン用エンジンを積んだ偽物」と冷ややかな目で見られることもあった。
だが、ふたを開けてみれば、その美しいウェッジシェイプのボディと、ポルシェらしい卓越したハンドリング、そして23,240ドイツマルク(現在レートにおける日本円で約215万円)という手頃な価格設定により、924は空前の大ヒットを記録する。
1988年の生産終了までに製造された台数は実に15万台以上。
皮肉なことに、この異端児の商業的な大成功が当時のポルシェの財政難を救い、結果として伝統の911の命脈を繋ぐことになったのである。
カイエンやマカンといったSUVが現在のポルシェの屋台骨となったり、MRポルシェのボクスターが90年代の経営危機を救った様にFRポルシェもまた救世主であった。
「ファミリースポーツワゴン」としての実用性

ポルシェのスポーツカーと聞けば、ストイックで荷物など載らないイメージを抱くかもしれない。
しかし、924はその常識を心地よく裏切ってくれる。
流麗なウェッジシェイプのルーフラインから滑らかに続く巨大なガラス製リアハッチを開ければ、そこには驚くほど広大なラゲッジスペースが広がっているのだ。
2+2パッケージングが生む豊かな日常

ポルシェは924を、単なる週末の遊び道具ではなく、日常の足としても使える真の「2+2シーター」として仕立て上げた。
フロントにエンジンを配置した恩恵でリア周りの設計に余裕が生まれ、リアシートを倒せば長尺の荷物すら飲み込む実用性を誇示する。
当時の広告スローガンで「ファミリースポーツワゴン」と大々的に謳われたのも納得のパッケージングである。
タイトなスポーツカーのコックピットに身を沈め、ステアリングを握りながら、背後には家族の荷物を積んで週末の小旅行へ出かける。
そんなロマンチックな使い方を許容する懐の深さこそが、924というクルマの隠れた魅力なのである。
美しいクーペフォルムと高い実用性の奇跡的な融合は、まさに当時のスポーツカーにおける一つの革命であったと言えるだろう。
革新的なメカニズムと魅力的なデザイン
ポルシェ924が自動車史において特別な輝きを放つ理由は、その流麗なスタイリングの内に、当時のスポーツカーの常識を覆す革新的なエンジニアリングを秘めていたからである。
伝統の空冷リアエンジンから決別し、新たな理想を追求したポルシェの野心は、このクルマの骨格に深く刻み込まれている。
理想的な重量配分を生み出す「トランスアクスル・レイアウト」
924のメカニズムを語る上で欠かせないのが、ポルシェの歴史に新たな一章を刻んだトランスアクスルレイアウトである。
通常、フロントエンジンの車はトランスミッションもエンジンの直後に配置されるが、924はフロントにエンジンを置き、トランスミッションとデファレンシャルギアを一体化してリアアクスルに配置する手法を採った。
エンジンとリアのトランスミッションを繋ぐのは、剛性の高いトルクチューブと呼ばれる筒状の構造物である。
このチューブの内部を、エンジンと同じ回転数で回るソリッドなドライブシャフトが貫通し、動力を後方へと伝達する。
この非常に凝ったレイアウトの最大の目的は、ほぼ50:50という理想的な前後重量配分の実現にあった。
リアエンジンゆえにテールヘビーで、限界域では高度なドライビングテクニックを要求した同年代の911とは対照的に、924はそのおかげで極めてニュートラルで寛容なハンドリングを獲得した。

ワインディングを駆け抜ける際の鼻先の軽さと、リアタイヤがしっかりと路面を蹴り出すトラクション感覚、そして高速走行時の卓越した安定性は、当時のドライバーたちに誰もが安心して性能を引き出せるポルシェという新しい驚きを与えたのである。
ポルシェ市販車初の「水冷フロントエンジン」

また、924はポルシェの市販モデルとして初めて「水冷エンジン」をフロントに搭載したという点でもエポックメイキングであった。
ポルシェ=空冷フラットシックスという強烈な固定観念が存在した時代において、水冷直列4気筒エンジンをフロントノーズに押し込むことは、ブランドの根幹を揺るがしかねない大きな挑戦だったと言えるだろう。
しかし、厳しさを増す排出ガス規制や騒音規制、そして安定した熱管理という将来的な課題を見据えれば、水冷化は避けて通れない道であった。
フロントミッドシップに近い位置まで後退して搭載された水冷エンジンは、車のヨー慣性モーメントを低減し、ヒラヒラと舞うような俊敏なコーナリングの源泉となった。
924が切り拓いたこの【フロントエンジン・水冷】という新たな選択肢は、ポルシェのスポーツカーとしての可能性を大きく広げる画期的な一歩だったであろう。
空力を追求したウェッジシェイプとリトラクタブルヘッドライト

洗練されたエンジニアリングは、ハルム・ラガーイ氏の手による魅惑的なボディデザインによって包み込まれた。
924のスタイリングは、徹底してエアロダイナミクスを追求した結果生まれた、シャープなウェッジシェイプを特徴としている。
なだらかにスラントした低いノーズを実現するために採用されたのが、スポーツカーの象徴とも言えるリトラクタブルヘッドライトである。
昼間はボンネットと面一に格納されて空気抵抗を極限まで削ぎ落とし、夜間のみその姿を現すこのギミックは、当時の(というか現代でも)クルマ好きの心を強く掴んだ。
張り出したフェンダーを持たないプレーンで滑らかなボディラインは、1970年代後半から80年代のスポーツカーデザインのひとつの完成形であり、今なお色褪せないモダンな美しさを放ち続けている。
FRポルシェの系譜
ポルシェ924が蒔いた「フロントエンジン・水冷」という種は、やがてポルシェの歴史に「トランスアクスル時代」と呼ばれる約20年間(1976年〜1995年)の豊穣な一時代を築き上げることになる。
どうしても、911という絶対的なアイコンの影に隠れがちだが、この時代に生み出されたFRベースのポルシェたちは、今なお熱狂的なファンを持つ名車揃いである。
924から始まったポルシェの「トランスアクスル革命」
前章で触れた通り、エンジンをフロントに、トランスミッションをリアに配置するトランスアクスル方式は、ポルシェにとって新たなスポーツカーの形を模索する大きな賭けであった。
しかし、924が証明した前後重量配分50:50による卓越したハンドリングは、誰もが安全に限界を引き出せる新しい最適解として確かな手応えをもたらした。
ポルシェはこの革新的なシャシーレイアウトを横展開し、次々と魅力的なニューモデルを世に送り出していくことになる。
V8エンジンを搭載した革新のラグジュアリーGT「ポルシェ928」

924のデビューから間もない1977年、ポルシェはもう一つのトランスアクスル・モデルを送り出した。
それが、強力な水冷V型8気筒エンジンを搭載したフラッグシップ、【ポルシェ928】である。
当初、928は気難しさを持つ911に代わる新世代の主力モデルとして開発されていた。
そのため、スポーツカーとしてのダイナミクスはもちろん、長距離を快適に移動できるグランツーリスモとしての洗練された乗り味を極めていたのである。
バンパーがボディと一体化した流麗なデザインは、今見ても全く古さを感じさせないモダンなオーラを放っている。
924のシャシーをベースに大きく飛躍した「ポルシェ944」

924の実質的な後継モデルにして、商業的にも大成功を収めたのが1982年に登場した【ポルシェ944】である。
924のシャシーをベースとしながらも、力強く張り出したワイドなフェンダーを纏い、エンジンはVW/アウディ製から純ポルシェ設計の2.5L水冷直列4気筒へと変更された。
この大排気量4気筒エンジンと進化したサスペンションの組み合わせにより、944はそのニュートラルで奥深いハンドリングをさらに研ぎ澄ませた。
極めて高い完成度を誇った944は、時に911をも凌ぐ「隠れた名車」として絶賛されるほどの評価を獲得したのである。
4気筒トランスアクスル・モデルの集大成「ポルシェ968」

トランスアクスル革命のフィナーレを飾ったのが、1990年代にデビューした【ポルシェ968】である。
944の基本骨格を極限まで熟成させたこのモデルには、3.0Lという当時の市販4気筒車としては最大級の排気量を持つ巨大なエンジンが搭載された。
特に、快適装備を省いて徹底した軽量化と専用サスペンションを与えられた「968クラブスポーツ」は、3.0Lエンジンのパフォーマンスをフルに引き出せるピュアなスポーツカーとして高い評価を得た。
トランスアクスル・ポルシェのひとつの到達点として、現在でもエンスージアストから神格化されている名車である。
1995年をもってポルシェの4気筒およびV8のトランスアクスル・モデルたちは表舞台から姿を消したが、彼らが追求した「完璧なバランスと日常性の融合」という哲学は、FRサルーンのパナメーラをはじめとして現代のポルシェにも脈々と受け継がれている。

おわりに:今こそ再評価されるポルシェ924

長らく「ポルシェのエンブレムを付けた廉価版」という不当なレッテルを貼られ、市場で過小評価されてきた924だが、近年その状況は世界的に一変している。
状態の良いオリジナル個体や、924ターボ、カレラGTといった希少モデルを中心に、真のコレクタブルなクラシック・ポルシェとしての価値が見直され、価格は着実な上昇カーブを描いているのだ。
もちろん、911のような投機的な価格高騰ではない。
それは裏を返せば、まだエンスージアストの手の届くリアルなクラシック・ポルシェであるということだ。
しかし、生産・供給終了部品の増加など、古い輸入車ゆえの維持の難しさもあり、生き残る良質な個体は今後さらに減少していくだろう。
今まさに、924は純粋な趣味の対象としても、長期的な投資ポテンシャルを秘めた名車としても、絶好の「再評価の刻」を迎えている。
アナログでピュアなドライビング体験の魅力
現代のスポーツカーのように、電子制御の魔法や暴力的なパワーでねじ伏せるような走りは、924にはない。
しかし、タイトなコックピットに身を沈め、ノンアシストのステアリングを切り込んだ瞬間、このクルマの真価にハッとさせられることだと思う。
トランスアクスル・レイアウトが生み出す完璧なバランスと、路面の起伏やタイヤのグリップ変化をダイレクトに掌へと伝える濃密なステアリング・インフォメーション。
それは、ドライバーのスムーズな荷重移動や正確なペダルワークにのみ素直に応えてくれる、極めてピュアでアナログな対話の世界が生まれることだろう。
派手さはないが、どこまでも奥深い。
ポルシェがかつて描いたフロントエンジン・スポーツカーの理想郷は、半世紀の時を経た今もなお、色褪せることなく我々の心を魅了し続けているのである。

