マクラーレンのロードカー史において、一つの輝かしい章が幕を閉じようとしている。
2017年のデビュー以来、その圧倒的なパフォーマンスでスーパーカーの定義を塗り替えてきた720Sシリーズの「最終進化形」として、究極の限定モデル【788HS】が2026年7月9日に発表された。
その名に刻まれた「HS(High Sport)」というバッジは、マクラーレンのシリーズ生産モデルの中でも、MSO(マクラーレン・スペシャル・オペレーションズ)が手掛ける極めて特別な表現にのみ許される聖域の証であり、本作はMP4-12C HS以来、史上3例目の栄誉を授かったマシンとなる。
マクラーレン・オートモーティブのビスポーク(特注オーダー)部門で、個人の趣向に合わせた内外装のカスタマイズやヘリテージモデルのレストアなど、マクラーレンにおける究極のプログラムを実施する部隊。
世界限定200台という極めて高い希少性を誇るこのモデルは、長年ブランドの屋台骨を支えた4.0L V8ツインターボ「M840T」エンジンのポテンシャルを限界まで引き出した、まさに純内燃機関モデルの有終の美を飾るモデルとなる。
自動車業界が急速な電動化へと舵を切る中で、マクラーレンがこのタイミングで放った「純粋なエンジンの咆哮」には、彼らが守り抜こうとする「走りの聖域」への強い意志が込められている。
本記事では、720Sから始まった第2世代スーパーシリーズの黄金時代を振り返りつつ、788HSが到達した技術的極致、そして変わりゆく時代の中でマクラーレンが内燃機関に託した不変の想いについて、掘り下げていこうと思う。
720Sから始まったマクラーレン・スーパーシリーズの黄金時代
マクラーレンのラインナップにおいて、その「核」を成すのがスーパーシリーズである。
2011年のMP4-12C誕生以来、このシリーズはマクラーレンの革新性とレーシングテクノロジーを最も純粋に公道へと解釈し続けてきた。

その歴史の中で、2017年に登場した「720S」から、今回発表された「788HS」に至るプロセスは、まさに純内燃機関V8モデルの黄金時代と呼ぶにふさわしい進化の軌跡である。
720S:常識を覆した第2世代の衝撃

2017年、第2世代スーパーシリーズとして産声を上げた720Sは、当時のスーパーカー界に激震を走らせた。
その最大の特徴は、マクラーレンの哲学である「Everything for a reason.(すべてに理由がある)」を体現した革新的なエアロダイナミクスにある。
象徴的なアイソケットヘッドライトユニットは、単なるデザインではなくラジエーターへ空気を送り込むインテークとして機能している。
心臓部には、新開発の4.0L V8ツインターボエンジン『M840T』が搭載された。
このユニットは、マクラーレン伝統の軽量カーボン製モノコック「モノケージII」と組み合わされ、驚異的なパワーウェイトレシオ1.78 kg/psを実現した。
720Sは、圧倒的な加速性能と、魔法のような乗り心地を両立する「プロアクティブ・シャシー・コントロールII(PCC II)」により、ロードカーとしての洗練とトラックマシンの狂気を一つのボディに封じ込めることに成功した。
LTと750S:洗練と情熱の深化

この黄金時代は、さらなる深化を遂げる。
2020年には、伝説的な「ロングテール(Longtail)」の名を冠した765LTが登場した。
LTの称号は、1990年代のF1 GTRロングテールに端を発する、軽量化と空力性能を極限まで追求したモデルにのみ許される。
765LTは720Sをベースとしながらも、徹底的なダイエットとダウンフォースの強化により、ドライバーに外科手術のような精密なフィードバックをもたらす存在となった。
そして2023年、マクラーレンはスーパーシリーズの完成形とも言える750Sを世に送り出す。
720Sの構成部品の約30%を刷新し、パワー向上とさらなる軽量化を実現。
それは単なるマイナーチェンジではなく、10年以上にわたるV8スーパーシリーズの知見をすべて注ぎ込んだ、一つの到達点であった。
788HS:究極のフィナーレを飾る「High Sport」

そして今、この輝かしいV8の歴史の幕を引くスワンソングとして現れたのが、マクラーレン 788HSである。
ここで注目すべきは、その名に刻まれた「HS」の称号だ。
これは「High Sport」を意味し、マクラーレンのシリーズ生産モデルの中でも、MSO(マクラーレン・スペシャル・オペレーションズ)が手掛ける極めて希少で特別なモデルにのみ与えられるバッジである。
788HSは、720Sから始まった第2世代スーパーシリーズの「最終進化形」として位置づけられている。
世界限定200台というその希少性は、これが単なるラインナップの追加ではなく、一つの時代の終焉を祝うための記念碑であることを示している。
F1由来の技術を惜しみなく投入した空力パッケージや、M840Tエンジンのポテンシャルを限界まで引き出した788PSの出力は、次世代ハイパーカー「W1」へとバトンを繋ぐマクラーレンの意地とプライドの結晶と言えるだろう。
720Sから始まったこの系譜は、常にライバルの一歩先を行く技術革新を続け、スーパーカーの定義を更新し続けてきた。788HSという究極の進化をもって、私たちはその黄金時代のグランドフィナーレを目撃しているのである。
究極のフィナーレ「マクラーレン 788HS」の全貌

◆マクラーレン788HSの諸元
| エンジン | M840T |
| 馬力/トルク | 788PS/800N・m |
| 駆動方式 | MR |
| 乾燥重量 | 1,265kg |
V8純内燃機関の限界を突破する咆哮
心臓部に鎮座するのは、熟成を重ねた4.0L V8ツインターボ「M840T」ユニットだ。
専用のエンジンチューニング、低慣性ツインスクロールターボチャージャー、強化された鍛造ピストン、そして2基の独立した燃料ポンプの採用により、最高出力は788PS/最大トルクは800N・mという電動化されていない純内燃機関としては驚異的な数値を叩き出す。
そのパフォーマンスは、スーパーカーを超えてもはやハイパーカーの領域にある。
0-60mph(0-97km/h)加速はわずか2.8秒、最高速度は約330km/hを達成しており、これは先行した過激な765LTをも凌駕する数値である。
4本出しのチタン製エキゾーストからは、高回転域でより豊かで強烈な、V8純内燃機関ならではの魂を揺さぶる咆哮が奏でられる。

F1の知見が結晶した空力と足回り

空力性能においても、788HSは既存の枠組みを大きく飛び越えた。
新設計のカーボンファイバー製エアロキットを装備し、ダウンフォース量は765LT比でさらに10%向上している。
後ろ姿は同社の最上級ライナップに位置するアルティメットシリーズかつてのP1の後ろ姿さえ思い浮かばせる様な造形となっている。
フロントバンパーから取り込んだ空気をボンネット上に抜くことでエアカーテンを形成する「Sダクト」は、マクラーレンのF1における知見が公道へと解釈された象徴的なデバイスだ。
さらに、750Sよりも5mm低められたフロント車高と専用チューンの油圧サスペンションが、路面に吸い付くような接地感をもたらす。
足回りにおけるこだわりは、ブレーキシステムとホイールにも及ぶ。
ブレーキには、マクラーレン・セナから譲り受けたカーボンセラミック・ディスクを採用。
そして、究極のトラック性能を追求した結果、スーパーシリーズとしては初のセンターロック方式の軽量鍛造ホイールが標準装備された。これは、ピットストップ時間の短縮だけでなく、回転質量の極限までの削減という、真のレーシングテクノロジーへのオマージュである。

MSOが描く、限定200台の芸術品

マクラーレン 788HSが放つ輝きは、その数値的なスペックだけにとどまらない。
世界限定200台——クーペとスパイダーがそれぞれ100台ずつという極めて限られた生産枠が、このマシンの希少性を決定づけている。
しかし、マクラーレンにとって200という数字は単なる生産台数の記録ではない。
そこには、パーソナライズ部門であるMSOが仕掛ける、オーナー一人ひとりのためだけの「聖域」が用意されているのである。

特筆すべきは、MSOが提供するカスタマイズの深度だ。
788HSのオーナーは、マシンの骨格そのものを美学へと昇華させた「エクスポーズド・カーボンファイバー・ボディ」を選択することができる。
艶消しまたはグロスの仕上げから選べるこのオプションは、軽量化の象徴であるカーボン素材をあえて隠さないという、マクラーレンのエンジニアリングに対する絶対的な自信の表れにほかならない。

室内空間もまた、ドライバーの所有欲を極限まで刺激するこだわりに満ちている。
標準装備される軽量カーボンファイバー製レーシングバケットシートには、HS専用の特別な穿孔加工が施され、手に触れるカーボン製センターコンソールと共に、徹底的な「引き算の美学」を追求している。
そして、キャビンに誇り高く掲げられるシリアルナンバー入りのデディケーション・プレート。
これこそが、世界に200台、そして自分自身のオーダーによって仕立てられた「世界に一つ」の個体であることを証明する血統書だ。

MSOの手を経ることで、788HSは二つとして同じものが存在しない芸術品へと昇華する。
それは、V8スーパーシリーズの黄金時代を締めくくるにふさわしい、マクラーレンから選ばれし200人のオーナーへの、最高に贅沢なスワンソングなのである。
結び:変わりゆく時代の中で、マクラーレンが内燃機関に託す想い

M840Tエンジンの終焉と新時代の胎動
788HSの心臓部である4.0L V8ツインターボ「M840T」は、このモデルを最後にフラッグシップハイパーカー「W1」に搭載される新世代ユニット「MHP-8」へとその座を譲ることになる。
長年ブランドの屋台骨を支えたエンジンを、過去最高の788PSというパワーまで研ぎ澄ませて幕を引くという決断は、エンジニアリングの限界に挑み続けるマクラーレンらしいこだわりの現れだ。
788HSが奏でるクワッド・エキゾーストの咆哮は、効率や静粛性が重視される現代において、爆発的なパワーとドライバーへのフィードバックこそがスーパーカーの魂であることを再認識させる。
これは、かつてゴードン・マレー氏がマクラーレン F1で追求した「究極のロードカー」という理想を、現代の技術で再解釈した結果とも言えるだろう。
2030年、そしてその先へ繋ぐ情熱

マクラーレンは、顧客が求める限り、2030年までは内燃機関モデルを継続する考えを示している。
CEOのニック・コリンズ氏は、「EVの検討可能性はあるものの、市場が求めるまでは急いではいないと」と発言し、電動化へ舵を切るタイミングを慎重に見極めている。
これは、単なる技術的な遅れではなく、マクラーレンが何よりもドライバーのエンゲージメントを最優先しているからに他ならないと言えるだろう。
もちろん、アルトゥーラやW1に見られるように、マクラーレンはハイブリッド技術を否定しているわけではない。
しかし、彼らにとっての電動化とは、あくまで「内燃機関が持つドラマを増幅させるための手段」であり、それ自体が主役ではないのである。
788HSという純内燃機関モデルの頂点が存在することで、後に続くハイブリッドモデルたちが、どれほど高い壁を越えなければならないのかという「基準」が示されたのかもしれない。
結びにかえて:私たちは何を「目撃」しているのか
788HSをドライブ、あるいはその姿を目にする者は、一つの時代の終わりと、新しいチャプターへの橋渡しを同時に目撃することになる。
F1由来のSダクトや、セナから継承されたブレーキシステムといったレーシングテクノロジーが凝縮されたこの一台は、マクラーレンがこれまで培ってきた全ての知性の集大成である。
変わりゆく時代の中で、マクラーレンは内燃機関に「運転する喜び」という不変の価値を託した。
788HSが限定200台という希少性を持って放たれたのは、それが消えゆく火花ではなく、未来を照らすための最も強烈な閃光であるからだ。
私たちは今、内燃機関が最も美しく、儚く、そして最も激しく輝く瞬間を共有しているのである。
この咆哮が途絶えるその日まで、マクラーレンは「 Everything for a reason(すべてに理由がある)」という哲学と共に、スーパーカーの地平を切り拓き続けるだろう。
出典:McLaren Automotive

