さよならボクスター。20代の私に車を所有する事・運転の楽しさを教えてくれた人生初の黄色い愛馬

    • URLをコピーしました!

    さて、かねてよりメルセデスAMGのGLA45SかアウディのRS Q3のどちらかを購入しようと話をしていたが先日ついに契約してきた。そして、合わせてボクスターSを降りることになった。
    ※どちらを買ったかは後日、理由も含めてお話しするとしよう。

    私にもっと経済力があれば、そのまま所有していたくもあったがそうも言ってられないし、そもそも2台所有出来たとしても、あまりボクスターに乗ってあげることも出来なさそうである。

    そういった時間的・経済的制約から手放すことになった訳であるが、愛着のある一台でもあったため、ここに黄色い愛馬との想い出をしたためたいと思う。

    目次

    20代の若造が手に入れた初めての愛車

    20代前半の若造の頃に、近所の中古車店で180万円ほどで売られていたのをほぼ衝動買いで、現金一括購入して手に入れた。いや、衝動買いとはチト異なるか。

    その時にいた会社の同期が車を(確かハリアーだったか)購入したので、乗せてもらった際に愛車を所有している事を羨ましくもあり・時間に縛られず自由に動き回れる自由さへの憧れもあり・そしてその同期への所謂対抗心みたいなものを感じた。今、冷静に振り返ってみるとそんな感情だったかと思う。

    まぁ、そんな色んな想いが混ざって買った車であるし、人生初の愛車でもある。

    車を所有したことが無かったので、当然中古車の選定眼なんてものも皆無である(じゃあ、今はあるのかと言われると・・・)。そんな状態で現状販売の中古車を一括で買ったわけである。

    その結果・・・読者の方々の期待に添えられず申し訳ない限り(?)だが、小さなトラブルはあったものの大きな故障などはなく、割と安泰な輸入車ライフを過ごせた。何もなかったから良かったものの、今思えばとんでもない大博打である。

    なんせ購入時点“13年落ちの総走行距離が約10万km”にも届こうとしている個体だったのだから。いやはや、若さゆえに過ちというか怖い物知らずというか、空恐ろしい限りだ…。

    しかしながら、さすが耐久王ポルシェと言った所か、先ほど述べた通り大きな故障・・・例えば、エンジンやトランスミッションといったパワートレイン・ブレーキや足回りなどは皆無。その代わり、ゴムパッキンの劣化やパワーウィンドウ・幌開閉機構といった部分の修理はちょこちょこと必要となった。

    一番金のかかった故障は幌のオープン機構の故障で20万くらいだったか・・・。小さくはない金額だが、逆に言えば180万でポルシェのミッドシップオープンスポーツを買って、その程度の修理費で楽しめたのだから万々歳と言っても過言ではないと思っている。

    彼女と共に何千何万kmと過ごし、時にはサーキットも走った

    買ってからは車で行ける範囲は、極力電車を使わず車で移動した。彼女(今の嫁さん)を連れて、長野や日光、箱根、御殿場などへ旅行に行った。御殿場の帰りは釘を拾ったかでスローパンクチャーを起こし、JAFを呼んだりといったトラブルも…。

    そうそう、幌を開けた状態で、宵闇のレインボーブリッジを渡った時は気持ち良かったな~。オープンにして夜風を浴びながらお台場へ向けての下りのアプローチに入ると、煌びやかなお台場の夜景に吸い込まれる様な感覚になる。また、台場へ行く際はレンタカーでオープンカーを借りるのもいいかもしれないな。

    あとは近所のスーパーへのお買い物、すなわち下駄車としてもよく使った。ほどよいサイズで、意外と最低地上高もあるので本当に万能に使えた。欠点と言えば2人乗りというところだが、結婚もしていないわけで精々乗るとしても彼女と2人なので問題ない。

    独身時代に乗るには、我ながら最高のチョイスだと今でも思っている。

    サーキットでの全開走行

    スポーツ走行としては、富士スピードウェイの本コースも走った。国内A級ライセンス取得時のテストでの走行(サーキットトライアル)だから、正真正銘の全開走行。

    全開といいつつも、人生初のスポーツ走行で今まで感じたことのないGが怖かったこと。そして、必要最低限のメンテナンスしかしていなかったため、メカニカル的な恐怖もあったため、全開と呼ぶにはちょっと・・・いや、だいぶ語弊がある走りだった。まぁ、ホームストレートでは、何とかアクセルを踏み抜くぐらいは出来たと言っておく。

    それでも上位6位に入賞してトロフィーを授与頂いた。これは今でも大事に飾ってある。

    本当はサーキットでボクスターがどんな走りを感じさせてくれたのかもっと書きたいところではあるのだけれど、Gに翻弄されていっぱいいっぱいだった記憶しかない。あとは、「本気で走るなら、確かにバケットシートは必要だわ。うん納得!」ぐらいしか覚えていない有様である。

    まぁ、3,4年前くらいの出来事だったから結構忘れているというのも正直あるけどね。

    若造の自分にとって最高の先輩だった

    こうやって思い起こしてみると大した手入れはしてあげられていなかったなぁと反省する。それでも、黄色い愛馬は気持ちよくどこまでも走ってくれた。

    よく車と対話するという表現がある様に、車好きは無機物の塊である車をどこか人間の様に扱うことがあるが、実際に身銭を切って車を所有してみるとよく分かる。

    既に生産から17年は経過したこの車は、ご老体とまでは言わないまでも、日本人の価値観から見たらそれなりの齢の車だ。それでも、まだまだ元気よく走る。ポルシェからしたら、還暦となるナローポルシェがまだまだ現役で、現行の車達と同じ環境で走っているのだから、17歳でご老体扱いされるのは心外なことだろう・・・

    まぁ、でも17歳となると先に述べた様にゴムや電装品、外装など様々な箇所が劣化してくる。新品の様な状態を保つのはかなり厳しい。まして、20代の若造の自分には到底無理な話である。

    それでもボクスターは最低限のメンテナンスで私を許してくれた。私がここに行きたいというと、文句も言わず連れて行ってくれた。時にはオープンで、時には精巧なフラット6の音色で道中退屈しない様に私を楽しませてくれた。この車を運転している時は、ついぞ眠気を感じなかったな。

    こうやって想い返してみると、人生で初めて車を所有する私にとっては最高の先輩だったと思う。優秀な能力を持ちながら、遊び心もあり、多少の無茶や手抜きも許してくれた。

    車を相棒に例える人は自分の愛車を愛情を込めて「コイツ」と呼んでたりするが、私は結局最後までボクスターを「コイツ」と呼ぶことはできなかった。そういう意味では、やはり相棒≒対等では無かったから、先輩というのがしっくりくる。

    ボクスターから教わったこと・学んだことは、次の車にはちゃんと活かさないとな。さて、次の愛車は私にどんなことを語りかけてくるだろうか。

    よかったらシェアして下さい!
    • URLをコピーしました!
    目次